田中さんは両親が聴覚障害者で、2000年に資格を取得しました。幼い頃、両親をサポートしてくれた通訳者に感謝し、「いつか自分も恩返しをしたい」と思っていたといいます。
名取市役所は、津波の被害を免れましたが、沿岸部には多くのがれきが残り、大震災から2か月以上たった当時でも、その爪痕ははっきりと残っていたそうです。市内で手話通訳が必要な障害者は約60人おり、そのうち8人は自宅が全半壊したとのことでした。
午前中は市役所で通訳を務め、午後からは聴覚障害者が暮らす避難所や仮設住宅などを訪問した田中さんは、義援金支給の手続きや、情報の入手に欠かせないファクスなど生活物資の給付申請を受け付け、生活再建を支援しました。
家が全壊し、手話で会話していた家族と別居していた障害者もいたそうです。多くは、テレビやラジオでは十分な情報を得られません。筆談でも真意が正確に伝わらない場合があります。そんな方を訪問した際、田中さんは通訳者の重要さを痛感したといいます。
寂しさや不安を感じているようでしたが、田中さんを温かく迎え、「遠い滋賀から来てくれてありがとう」と逆に励まされたそうです。活動を終えて帰る際、70歳代の夫婦からは「来年、京都である全国ろうあ者大会に行けるように頑張るから、再会しよう」と言われ、握手して別れました。
田中さんは「聴覚障害者が仕事を探したり、転居したりする時に、手話通訳が必要になる。また名取市を訪ね、そのお手伝いをしたい」と話しています。
(2011年6月22日 読売新聞)